万葉集におけるチドリは、チドリ科の大きな鳥を除いた小さな鳥を呼ぶ。また、シギ科の鳥なども含まれる。コチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、メダイチドリ、キョウジョシギ、ムナグロ、イソシギなどをいう。体長は20cm前後で、背中は褐色で細かい模様がある場合もある。腹は白、頭部は褐色や白で、黒の模様がある場合がある。多くのトリは4本指ですが、チドリ科の鳥は、一部を除いて3本指です。シギ科も4本指です。この違いからチドリの歩き方が不安定かどうかは不明ですが、千鳥足という言葉が生まれたらしいです。

カルチドリ

イソシギ

 

チドリには、古くからのデザインがある。家紋にも同じ素材を使った10種類以上のデザインがある。また、チドリのデザインは家紋以外でも各種のデザインなどにも使われている。このデザインを使ったものに浜離宮の松の御茶屋の千鳥の透かし彫り(復元)がある。この透かし彫りから差し込む千鳥模様の光が部屋の中に美しい光景を作るといわれます。

松の御茶屋チドリのデザイン

 

万葉集中に現れる鳥は、歌の中心でなく他の事柄を表現するために、鳥のように何々と歌うことが多い。たとえば、「鴨のように船が海に漂う」的なものが多く、全体のストーリーには、鴨は関係ないことが多い。これに対してチドリの場合は、歌の意味に密接に関係していることが多い。たとえば、「千鳥が鳴くと、私はこのように感じる」と歌われることが多い。この点で千鳥は歌の中である位置を少し占めているということができる。

万葉集には、千鳥が出てくる歌が、26首ある。この中で、9首の歌では、佐保川や佐保路という地名が現れている。春日山から発して佐保の地を南西に流れる佐保川周辺には千鳥が当時たくさんいたものでしょう。都の鳥的なイメージもあると思います。

 千鳥には、チドリという鳥を歌っている場合と、たくさんの鳥という意味で使っている場合の2種類があります。

この章で画像で示したイソシギは、エリザベス・テーラーの映画で有名なイソシギ(THE SANDPIPER、1965年アメリカ)と同じものです。この映画は、美しい映画音楽(シャドウ・オブ・ユア・スマイル、いそしぎ)がアカデミー賞に輝き大ヒットして有名になり、現在で時々放送されるこがある。ただ、映画中に現れる鳥の姿は、季節や年齢により多少違うことがあるので写真と全く同じかどうかわからない。同じ鳥でも季節や場所が違うと変化することに注意が必要です。

第3巻266

近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

あふみのうみ ゆふなみチドリ ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ
意味:

琵琶湖の 夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶチドリ おまえが鳴けば 心も打ちひしがれ 昔のことを思い出す
作者:

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)人麻呂は天武朝から持統朝に活躍したと思われているが、この歌はそれ以前の天智天皇の近江朝の頃を懐かしんで歌ったと考えられる。柿本朝臣人麻呂が近江朝でどのような生活をしていたかわからないが後で懐かしむような生活をしていたことが伺われる。柿本朝臣人麻呂の歌は、11.1章の119に「高市皇子尊の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」というものがあり、武市皇子がなくなったときに歌った歌で、大津京に住んでいた武市皇子が壬申の乱の時に雪の降る厳しい気候の中で大津朝の兵と戦う様子が迫力をもって歌われている。万葉集の中で最も長い歌である。この戦いの行程の中に同じく大津京に住んでいた柿本朝臣人麻呂いたのではないかと考えられる。いたからこそ迫力をもった長い歌が歌えたのではないか。この戦いの中で天武の味方をしたからこそ、柿本人麻呂が天武朝以降の地位を得て、万葉集ができることになったと考えられる。

 

第3巻268

我が背子が 古家の里の 明日香には 千鳥鳴くなり 妻待ちかねて


わがせこが ふるへのさとの あすかには チドリなくなり つままちかねて
意味:

わが友が 以前住んでいた里の 明日香には 千鳥が鳴きます 千鳥の妻を待ちかねて
作者:

長屋王(ながやのおおきみ)この歌には、「長屋王が故郷の歌一首」というタイトルがついている。また、歌の後には「右
は、今考えるに明日香より藤原の宮に遷りし後に、この歌を作るか」という説明書きがついている。一般に最初のところは、「わが友」と訳されているようです。明日香に住んでいた人を修飾しています。明日香が宮として栄えたのは長屋王が生まれる40-50年ほど前のことで、この歌が歌われるづっと前に明日香は寂れていたと考えられるので、長屋王の妃(複数)なる人が明日香に住んでいたとは考えにくい。そのため妃ではなくわが友となっているのだと思います。

 

第3巻371

意宇の海の 河原の千鳥 汝が鳴けば 我が佐保川の 思ほゆらくに


おうのうみの かはらのちどり ながなけば わがさほかはの おもほゆらくに
意味: 
意宇の海(島根県の宍道湖)の 河原の千鳥よ お前が鳴けば 私の佐保川(奈良市、大和郡山市)を 思い出すよ

作者:
門部王(かどべのおおきみ/かどべおう)門部王は子孫である。敏達天皇の子孫にも同名の人いたが、時代的に考えて前者。この歌は出雲守として出雲にいた門部王が宍道湖の千鳥を見て故郷の奈良を思い出して作った歌です。

第4巻526

千鳥鳴く 佐保の川瀬の さざれ波 やむ時もなし 我が恋ふらくは

りどりなく さほのかはせの さざれなみ やむときもなし あがこふらくは
意味:

千鳥が鳴く 佐保川の瀬の さざ波のように 止むときはありません 私があなたを恋しく思う気持ちは
作者:

大伴郎女(おおとものいらつめ)佐保川は前の句にも出て来たように奈良市、大和郡山市を流れる川です。大伴郎女は、万葉集中で女性としては、最大の84首の歌を残している。瀬は、川が浅くなって流れが速くなっている部分。

 

第4巻528

千鳥鳴く 佐保の川門の 瀬を広み 打橋渡す 汝が来と思へば

 

ちどりなく さほのかはとの せをひろみ うちはしわたす ながくとおもへば

意味:

千鳥が鳴く 佐保の渡り場の 浅瀬の広い場所に 板を渡して橋を作ります あなたが来ると思えば

作者:

大伴郎女(おおとものいらつめ)526番の歌と同じ作者の歌で類似の内容です。渡り場は、対岸に渡る場所。

 

第4巻618

さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな

 

さよなかに ともよぶちとり ものもふと わびをるときに なきつつもとな

意味:

真夜中に 友を呼んで鳴く千鳥 物思いして 気落ちしているときに やたらと鳴き続ける

作者:

大神郎女(おおみわのいらつめ)大神郎女は、三輪山を大神神社(桜井市)の関係者のと思われるが詳細は不明。1505にも歌があるが、いずれも大神郎女が大伴宿祢家持に贈ったもの。大伴宿祢家持が大神郎女に贈ったものはない。

 

第4巻715

鳥鳴く 佐保の川門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通はむ

 

チドリ鳴く さほのかはとの きよきせを うまうちわたし いつかかよはむ

意味:

千鳥が鳴く 佐保の渡り場の 清い浅瀬を 馬を渡して いつかは通りたいものだ

作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌には「大伴宿祢家持が娘子に贈った歌七首」というタイトルが付いていて、女性に贈った歌ということがわかるが、525,528番の歌に似ているので、大伴郎女に贈った歌ではないかということが想像されます。

 

第6巻915

千鳥泣く み吉野川の 川音の やむ時なしに 思ほゆる君

 

ちどりなく みよしのかはの かはおとの やむときなしに おもほゆるきみ

意味:

千鳥が鳴く 吉野川の 川音のように 止む時がありません 君を思う気持ちは

作者:

この歌の作者は不明です。歌のタイトルは、「ある本の反歌に曰く」となっています。これまでの歌とどこか似ています。

 

第6巻920

1   あしひきの み山もさやに     あしひきの みやまもさやに
2   落ちたぎつ 吉野の川の      おちたぎつ よしののかはの
3   川の瀬の 清きを見れば      かはのせの きよきをみれば
4   上辺には 千鳥しば鳴く      かみへには チドリしばなく
5   下辺には かはづ妻呼ぶ      しもべには かはづつまよぶ
6   ももしきの 大宮人も       ももしきの おほみやひとも
7   をちこちに 繁にしあれば     をちこちに しじにしあれば
8   見るごとに あやに乏しみ     みるごとに あやにともしみ
9   玉葛 絶ゆることなく       たまかづら たゆることなく
10  万代に かくしもがもと      よろづよに かくしもがもと
11  天地の 神をぞ祈る 畏くあれども あめつちの かみをぞいのる かしこくあれども

 

意味:

1   山すそを長く引く       美しい山もはっきりと
2   激しく水が落ちる       吉野川の
3   川の瀬の           清さを見れば
4   上流では           千鳥がしきりに鳴く
5   下流では           蛙が妻を呼ぶ
6   宮中の            宮に仕える官人も
7   あちらこちらに        たくさんいれば
8   見る度に           言い表しようがなく
9   葛の蔓のように        絶ゆることなく
10  限りなく長い年月を      こうでありたいと
11  天地の 神に祈る 恐れ多くあれども

作者:

笠朝臣金村(かさのあそんかなむら)笠朝臣金村の歌は万葉集に2巻から9巻の42首が記録されている。この歌には、「神亀二年乙丑の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌1首」というタイトルが付いている。神亀2年は聖武天皇が即位した翌年です。吉野の離宮は、曾祖父母(天武天皇と持統天皇)が壬申の乱を開始した土地であり、二人の思い出の地です。持統天皇は天武天皇の亡くなったあと、何度も行幸したと伝えられている。持統天皇の最後のときには聖武天皇は、生まれてまもない時期で、記憶が残るような状態ではなかったが天武天皇を継ぐ初めての男子天皇ということで、天武天皇を考えて即位の翌年には宮滝を行幸するのは、至極当然なことであったのでしょう。

 

第6巻925

ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く

 

ぬばたまの よのふけゆけば ひさぎおふる きよきかはらに ちどりしばなく

意味:

真っ暗な 夜が更けて行けば アカメガシワが生えている 綺麗な河原に 千鳥がしきりに鳴きます

作者:

山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)この歌は、「山部宿祢赤人が作る歌併せて短歌」という長歌と反歌2首の内の2番目の反歌です。この歌に対する長歌は、920と類似の天皇を賛美する歌で吉野の自然のすばらしさを歌っています。この歌で歌われている久木(ヒサギ)は、アカメガシワのことです。アカメガシワは空き地の雑草と一緒に生えている。高木であり、成長すると、5-10mにもなるという。

アカメガシワ

第6巻948

この歌は12.1章、21.1章で取り上げられていますが、千鳥も歌われていますので、同じ内容を載せておきます。

1   ま葛延ふ 春日の山は          まくずはふ かすがのやまは
2   うち靡く 春さりゆくと         
うちなびく はるさりゆくと
3   山の上に 霞たなびく          
やまのへに かすみたなびく
4   高円に 鴬鳴きぬ            
たかまとに うぐひすなきぬ
5   もののふの 八十伴の男は        
もののふの やそとものをは
6   雁が音の 次々と来るこの頃       
かりがねの きつぐこのころ
7   かく継ぎて 常にありせば        
かくつぎて つねにありせば
8   友並めて 遊ばむものを         
ともなめて あそばむものを
9   馬並めて 行かまし里を         
うまなめて ゆかましさとを
10  待ちかてに 我がせし春を        
まちかてに わがせしはるを
11  かけまくも あやに畏し         
かけまくも あやにかしこし
12  言はまくも ゆゆしくあらむと      
いはまくも ゆゆしくあらむと
13  あらかじめ かねて知りせば       
あらかじめ かねてしりせば
14  千鳥鳴く その佐保川に         
チドリなく そのさほがはに
15  岩に生ふる 菅の根採りて        
いはにおふる すがのねとりて
16  偲ふ草 祓へてましを          
しのふくさ はらへてましを
17  行く水に みそぎてましを        
ゆくみづに みそぎてましを
18  大君の 命畏み             
おほきみの みことかしこみ
19  ももしきの 大宮人の          
ももしきの おほみやひとの
20  玉桙の 道にも出でず 恋ふるこの頃
      たまほこの みちにもいでず こふるこのころ

意味:
1   美しい葛が張り渡る 春日山は
2   草がうちなびく 春が去りゆくと
3   山の上に 霞がたなびき
4   高いところの窓で ウグイスが鳴く
5   朝廷に仕える 多くの役人は
6   北へ帰る雁の 次々と通うこのごろ
7   このような日が続いて これといった変化がなかったから
8   友と並んで 遊んだものを
9   馬を並べて 行った里を
10  待つことができない 私の春を
11  心にかけて思うことも 恐れ多いことです
12  口に出して言うのも 恐れ多いことです
13  事の起こる前から 前もって知っていれば
14  千鳥が鳴く その佐保川(春日山を源流として初瀬川から大和川に流れる)に
15  岩の上に生える 菅(すげ、田の神の宿る神聖な植物)の根を採って
16  思い思いの草を お祓いをしておけばよかったのに
17  流れ行く水で 体を洗い清め
18  天皇の 仰せを恐れ
19  宮中の 宮廷人が
20  玉鉾の 道にも出ないで 天皇を恋ふるこの頃です。

作者:

この 歌の作者は不明です。727年(神亀四年)の春正月に、諸王・諸臣子等に勅(みことのり)して授刀寮(天皇の身辺を守る舎人の寮)に散禁(出入りを禁じる)せしむるときに作る歌となっています。このままでは意味が良く分かりません。しかし、この歌には、次のような反歌とが付いています。

6巻949
梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに


うめやなぎ すぐらくをしみ さほのうちに あそびしことを みやもとどろに

意味:
梅や柳の 盛りが過ぎてしまうことを惜しんで 佐保の内で 遊んだことが こんなに宮中を騒がすことになった。

さらにこの反歌には、次のような説明が付いています。
この歌は神亀4年の正月に数人の王子と諸臣の子たちが春日野に集いて打毬の遊びをした。その日たちまちに天が曇り、雨が降り稲光がした。この時に宮中に侍従と侍衛(天皇の警護をする人)とがいなかった。天皇は勅して刑罰を行い、みな授刀寮に解禁させ、道路に出ることができないようにした。そのとき、鬱陶しく感じて、この歌を作った。

以上の説明があると歌の意味が良くわかる。ちょっとしたストレス発散のために皆で遊びに出たら、天皇の怒りに触れて授刀寮に閉じ込められてしまった。憂鬱なことよ。と歌っているのである。

玉鉾は、道にかかるまくら言葉であるが、意味は不明とされる。個人的には、出世の道的な理解が良いと考えている。

第6巻1062

1   やすみしし 我が大君の         やすみしし わがおほきみの
2   あり通ふ 難波の宮は          
ありがよふ なにはのみやは
3   鯨魚取り 海片付きて          
いさなとり うみかたづきて
4   玉拾ふ 浜辺を清み           
たまひりふ はまへをきよみ
5   朝羽振る 波の音騒き          
あさはふる なみのおとさわく
6   夕なぎに 楫の音聞こゆ         
ゆふなぎに かぢのおときこゆ
7   暁の 寝覚に聞けば           
あかときの ねざめにきけば
8   海石の 潮干の共            
いくりの  しほひのむた
9   浦洲には 千鳥妻呼び          
うらすには チドリつまよび
10  葦辺には 鶴が音響む          
あしへには たづがねとよむ
11  見る人の 語りにすれば         
みるひとの かたりにすれば
12  聞く人の 見まく欲りする        
きくひとの みまくほりする
13  御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも 
みけむかふ あぢふのみやは みれどあかぬかも

意味:

1   国の隅々までお治めになっている 我が天皇の
2   通い続ける 難波の宮は
3   鯨が捕れる 海に接していて
4   真珠を拾う 浜辺が清らかなので
5   朝、鳥が羽ばたくように 波の音がさわがしい
6   夕なぎに 櫓(ろ)や櫂(かい)の音が聞こえる
7   未明の 寝覚(ねざめ)に聞けば
8   海中の岩石の 引き潮と共に
9   入り江にある州では 千鳥が妻呼び
10  葦辺では 鶴の鳴き声が響きわたる
11  見が人が 語り草にすれば
12  聞く人は 見たいと思う
13  天皇が食事に向かう 味経宮は 見飽きることがない

作者:

田辺福麻呂(たなべのさきまろ)この歌は、田辺福麻呂歌集にもある。万葉集には田辺福麻呂歌集にある歌が、31首ある。それ以外に田辺福麻呂の歌とされているものが13首ある。味経宮は大阪府摂津市別府にあった宮で第36代孝徳天皇の宮である。

 

第7巻1123

佐保川の 清き川原に 鳴く千鳥 かはづと二つ 忘れかねつも

 

さほがはの きよきかはらに なくちどり かはづとふたつ わすれかねつも

意味: 

佐保川の 清い河原で 鳴く千鳥 蛙と千鳥が一緒にいたのを 忘れることができない

作者:

この歌の作者は不明です。タイトルは「鳥を詠む」となっています。

 

第7巻1124

佐保川に 騒ける千鳥 さ夜更けて 汝が声聞けば 寐ねかてなくに

 

さほがはに さわけるちどり さよふけて ながこゑきけば いねかてなくに

意味: 

佐保川に 空高く飛ぶ千鳥 夜が更けて お前の声を聞けば 寝ようにも眠れない

作者:

この歌の作者は不明です。タイトルは「鳥を詠む」となっています。

 

第7巻1125

清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際に 霞立つらむ 神なびの里

 

きよきせに ちどりつまよび やまのまに かすみたつらむ かむなびのさと

意味:

清い浅瀬では 千鳥が妻を呼ぶ 山のわきでは 霞がどうして立つのだろう 神が天から降りて寄りつく里

作者:

この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは「故郷を思う」となっています。

 

第7巻1251

保川に 鳴くなる千鳥 何しかも 川原を偲ひ いや川上る

 

さほがはに なくなるちどり なにしかも かはらをしのひ いやかはのぼる

意味:

佐保川で 鳴いている千鳥よ(男) なぜそのように 河原(ただの女)を恋い慕って なんで川なんか登るのか

作者:

この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは「問答」となっています。

 

第11巻2680

川千鳥 棲む沢の上に 立つ霧の いちしろけむな 相言ひそめてば

 

かはちどり すむさはのうへに たつきりの いちしろけむな あひいひそめてば

意味:

川千鳥が 棲む沢の上に 霧が立つように はっきり知られてしまったのだろう 話し合う言葉を密めているのは

作者:

この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは「寄物陳思」となっています。寄物陳思とは物に託して思いを表現するという意味で、これに対して、心に思うことをそのまま表現することを「正述心緒」といいます。万葉集では、タイトルが寄物陳思のものが443首、正述心緒のものは263首あります。

 

第11巻2807

明けぬべく 千鳥しば鳴く 白栲の 君が手枕 いまだ飽かなくに

 

あけぬべく ちどりしばなく しろたへの きみがたまくら いまだあかなくに

意味:

夜が明けるよと 千鳥がしきりに鳴く 白い布のような 君の手枕 まだ、飽きてないのに

作者:

この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは「寄物陳思」となっています。

 

第12巻3087

ま菅よし 宗我の川原に 鳴く千鳥 間なし我が背子 我が恋ふらくは

 

ますげよし そがのかはらに なくちどり まなしわがせこ あがこふらくは

意味:

美しい菅(スゲ)が生える 曽我川の河原で 鳴く千鳥のように 絶え間なく私の主人を 私は恋しく思っています

作者:

この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは「寄物陳思」となっています。菅は、野山に自生する植物の名前です。曽我川(そががわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系の河川です。

 

第16巻3872

我が門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ

わがかどの えのみもりはむ ももちどり ちどりはくれど きみぞきまさぬ

意味:

私の家の門で えのきの実をもぎって食べる いろんな鳥よ 鳥は来ても 君は来ない 

作者:

この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは「寄物陳思」となっています。「もり食む」もぎって食べるの意味、千鳥は色々な鳥の意味。

第16巻3873

我が門に 千鳥しば鳴く 起きよ起きよ 我が一夜夫 人に知らゆな

 

わがかどに ちどりしばなく おきよおきよ わがひとよづま ひとにしらゆな

意味:

私の家の門で たくさんの鳥がしきりに鳴く 起きよ起きよと 私の一夜妻よ 人に知られないでね

作者:

この歌の作者は不明です。この歌で、起こされているのは、一夜を共にした男で、女の歌った歌です。

 

第17巻4011

この歌は、3.4章にも出てきました。

1   大君の 遠の朝廷ぞ             おおきみの とほのみかどぞ
2   雪降る 越と名に追へる           みゆきふる こしとなにおへる
3   天離る 鄙にしあれば            あまざかる ひなにしあれば
4   山高み 川とほしろし            やまだかみ かはとほしろし
5   野を広み 草こそ茂き            のをひろみ くさこそしげき
6   鮎走る 夏の盛りと             あゆはしる なつのさかりと
7   島つ鳥 鵜養が伴は             しまつとり うかひがともは
8   行く川の 清き瀬ごとに           ゆくかはの きよきせごとに
9   篝さし なづさひ上る            かがりさし なづさひのぼる
10  露霜の 秋に至れば             つゆしもの あきにいたれば
11  野も多に 鳥すだけりと           のもさはに とりすだけりと
12  大夫の 友誘ひて              ますらをの ともいざなひて
13  鷹はしも あまたあれども          たかはしも あまたあれども
14  矢形尾の 我が大黒に            やかたをの あがおほぐろに
15  白塗の 鈴取り付けて            しらぬりの すずとりつけて
16  朝猟に 五百つ鳥立て            あさがりに いほつとりたて
17  夕猟に 千鳥踏み立て            ゆふがりに ちどりふみたて
18  追ふ毎に 許すことなく           おふごとに ゆるすことなく
19  手放れも をちもかやすき          たばなれも  をちもかやすき
20  これをおきて またはありがたし       これをおきて またはありがたし
21  さ慣らへる 鷹はなけむと          さならへる たかはなけむと
22  心には 思ひほこりて            こころには おもひほこりて
23  笑まひつつ 渡る間に            ゑまひつつ  わたるあひだに
24  狂れたる 醜つ翁の             たぶれたる  しこつおきなの
25  言だにも 吾れには告げず          ことだにも あれにはつげず
26  との曇り 雨の降る日を           とのくもり あめのふるひを
27  鳥猟すと 名のみを告りて          とがりすと なのみをのりて
28  三島野を そがひに見つつ          みしまのを そがひにみつつ
29  二上の 山飛び越えて            ふたがみの やまとびこえて
30  雲隠り 翔り去にきと            くもがくり かけりいにきと
31  帰り来て しはぶれ告ぐれ          かえりきて しはぶるつぐれ
32  招くよしの そこになければ         をくよしの そこになければ
33  言ふすべの たどきを知らに         いふすべの たどきをしらに
34  心には 火さへ燃えつつ           こころには ひさえもえつつ
35  思ひ恋ひ 息づきあまり           おもひこひ いきづきあまり
36  けだしくも 逢ふことありやと        けだしくも あふことありやと
37  あしひきの をてもこのもに         あしひきの をてもこのもに
38  鳥網張り 守部を据ゑて           となみはり もりへをすゑて
39  ちはやぶる 神の社に            ちはやぶる かみのやしろに
40  照る鏡 倭文に取り添へ           てるかがみ しつにとりそへ
41  祈ひ祷みて 我が待つ時に          こひのみて あがまつときに
42  娘子らが 夢に告ぐらく           をとめらが いめにつぐらく
43  汝が恋ふる その秀つ鷹は          ながこふる そのほつたかは
44  麻都太江の 浜行き暮らし          まつだえの はまゆきくらし
45  つなし捕る 氷見の江過ぎ          つなしとる ひみのえすぎて
46  多古の島 飛びた廻り            たこのしま ひみのえすぎて
47  葦鴨の すだく古江に            あしがもの すだくふるえに
48  一昨日も 昨日もありつ           をとつひも きのふもありつ
49  近くあらば いま二日だみ          ちかくあらば いまふつかだみ
50  遠くあらば 七日のをちは          とおくあらば なぬかのをちは
51  過ぎめやも 来なむ我が背子         すぎめやも きなむわがせこ
52  ねもころに な恋ひそよとぞ いまに告げつる ねもころに なこひそよとぞ いまにつげつる

意味:

1   天皇の お治めになる遠い政庁に
2   美しい雪が降る 越という字が名前についている
3   空遠く離れた ひなびた土地であるので
4   山は高く 川は雄大だ
5   野は広く 草は生い茂る
6   鮎が走る 夏の盛りには
7   島の鳥で 鵜飼いをする人は
8   流れ行く川の 清き瀬ごとに
9   篝火を灯して 水に浮かび漂いながら上って行く
10  露霜の 秋になると
11  野でたくさん 鳥が集まってぎやかに鳴く
12  官人たちが 友を誘って
13  鷹は たくさんいるけれど
14  矢の形をした尾の 私の大黒に (注釈,大黒は、蒼鷹(羽毛が青色を帯びている鷹)の愛称である。)
15  白塗りの 鈴を取り付けて
16  朝猟に 五百羽もの鳥を追い立て
17  夕猟に 千羽もの鳥を踏み立て
18  追う毎に 取り逃がすことなく
19  手から飛び立って 戻ってくるのも容易な鷹は
20  この大黒をおいて 他にはない
21  それほどの手慣れた 鷹はないと
22  心では 誇りに思い
23  笑みを浮かべつつ 過ごしていたある日
24  狂った おいぼれ老人が
25  一言も 私には告げずに
26  空が一面に曇って 雨の降る日だというのに
27  鳥猟をすると それだけを告げて(大黒を勝手に連れ出してしまった)
28  (大黒が)三島野を 背後に見つつ
29  二上山を 飛び越えて
30  雲に隠れて見えなくなり 空中を飛び去ってしまいましたと
31  帰って来て せき込みながら告げた
32  だが、(大黒を)招き寄せる 手段が分からないので
33  指示する方法の 手立ても分からず
34  心の中では 火さえ燃えている
35  恋しく思い 息を止めているのに耐えきれず
36  おそらく (大黒に)逢うこともあろうかと
37  すそを長く引く 山のあちこちに
38  鳥網を張って 番人を置いて
39  霊威が強く効果の大きい 神の社に
40  輝く鏡を 青・赤などの縞を織り出した古代の布に取り添えて

41  願をかけて 私が待っていたところ
42  乙女が 夢に現れて告げる
43  汝が恋いている その素晴らしい鷹は
44  麻都太江(渋谿から氷見にかけての海岸)の 浜へ行って一日中飛んで暮らして
45  つなし(コノシロ、握り寿司のこはだ)を捕った 氷見の江を過ぎて
46  多古の島(布勢の海の東南部にあった島)を 飛び回り
47  葦鴨の 群がり集まる古江に
48  一昨日も 昨日もいました
49  早ければ いま二日ほど
50  遅ければ 七日以上
51  過ぎることはないでしょう きっと帰って来ますよあなた
52  そんなに心を込めて 恋いさないでと 現実のように告げました
作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌には、逃げた鷹を思いて夢見、喜びて作る歌というタイトルがついている。この歌の後ろには、この歌の本当の状況が説明されている。それによると概略は次の通りです。射水郡の古江村にして蒼鷹を取獲った。姿は美麗しく、雉を鷙ることに秀れている。ここに養吏の山田史君麻呂(やまだのふひときみまろ)は調教時期を誤ると鷹は空高く飛んでしまい回収することができなくなった。そこで網を張って回収することを考え神に願をかけた。すると娘子が現れて「鷹が回収できるのはそれほど時間がかかりません」と告げた。そこで恨みを忘れて歌を作って待つことにした。というものですが、回収できたかどうかは分かりません。

第19巻4146

夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋め 心もしのに 鳴く千鳥かも

よぐたちに ねざめてをれば かはせとめ こころもしのに なくちどりかも

意味:

夜中過ぎに 目覚めて居たら 川の浅瀬をさがし求め 心もしおれるばかりに 鳴く千鳥の声が聞こえた

作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、次の歌と合わせて「夜の内に千鳥の鳴くを聞く歌2首」となっています。夜鳴く千鳥については、次の歌でまとめてふれます。

第19巻4147

夜くたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ 昔の人も 偲ひ来にけれ

よくたちて なくかはちどり うべしこそ むかしのひとも しのひきにけれ

意味:

夜中過ぎに 鳴く川の千鳥 なるほどね 昔の人も 夜中に鳴く千鳥を思い起こして来たんだね

作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、前の歌と合わせて「夜の内に千鳥の鳴くを聞く歌2首」となっています。千鳥には夜中に鳴く鳥がいるようです。なお、ひとつ前の第19巻4146以外に第04巻0618(17.1章)でも夜鳴く千鳥のことが歌われています。この歌では、「真夜中に友を呼んで鳴く千鳥」と歌っています。いづれも大伴宿禰家持が作った歌または、送られた歌で、大伴宿禰家持の野鳥に対する知識の深さが感じられます。

夜鳴く千鳥に関する歌は、小倉百人一首にも次の歌があります。

 

78

淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨(すま)の関守 (源兼昌(かねまさ))

淡路島で 行き来する千鳥の 鳴く声に 幾晩も目覚めてしまう 須磨(淡路島の対岸)の関所を守る役人

 

夜鳴く千鳥を歌った歌には、比較的最近のものでは、次の歌が良く知られています。この歌が発表されたの大正9年です。万葉集や小倉百人一首の影響が多いのだと思います。

 

 

浜千鳥

作詞:鹿島 鳴秋、作曲:弘田 龍太郎

青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれ出る
濡れた翼の 銀の色

 

夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥

 

第19巻4288

川洲にも 雪は降れれし 宮の内に 千鳥鳴くらし 居む所なみ

 

かはすにも ゆきはふれれし みやのうちに ちどりなくらし ゐむところなみ

意味:

川の中州にも 雪が降り積もったから 宮の内で 千鳥が鳴くらしい 居るところがないので

作者:

大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、天皇の住まいにお仕え申し上げて千鳥の鳴くを聞いて作る歌一首となっている。

 

第20巻4477

夕霧に 千鳥の鳴きし 佐保路をば 荒しやしてむ 見るよしをなみ

 

ゆふぎりに ちどりのなきし さほぢをば あらしやしてむ みるよしをなみ

意味:

夕霧に 千鳥の鳴く 佐保路(西側から東大寺へ進む道)を 荒らしてしまうのだろうか 見ることもなく

作者:

円方女王(まどかたじょおう/まどかたのおおきみ)この歌には「智努女王がみかまりし後に円方女王が悲しみて作る歌」というタイトルが付けられている。円方女王と智努女王は、長屋王の子。万葉集300番には、次の長屋王の歌がある。

 

300

佐保過ぎて 奈良の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ

佐保を過ぎて 奈良山の神を祭る場所に 置く神社の幣(ぬさ)は 妻にいつも 合っていたいと言い伝えている

 

この歌から、佐保路が長屋王ゆかりの路であったが、4477では長屋王とその家族の死により佐保路は、荒れたものに変わって行くことを歌っていることが考えられえる。