ニワトリは、古事記では、長鳴鳥と呼ばれています。須佐の男の命(すさのうのみこと)のいたづらがひどいので、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れて真っ暗な夜になってしまったとき、天照大神を岩戸がら出すために、まず最初に長鳴鳥を集めて鳴かせたとしています。もう古事記の時点で、ニワトリは、朝に鳴く鳥ということになっています。この朝に鳴く鳥は、朝明るくなる東の空に関連づけられて、東に対する枕ことばとして使われるようになります。ニワトリは朝鳴く鳥から転じて、無秩序な暗い夜を秩序のある世界に変える鳥という意味があるようです。伊勢神宮の式年遷宮の行事の最初は、宮司によるニワトリの鳴き声「カケコー」から始まるようです。
次に多いニワトリを歌う部分は、「鳴く」ということが歌われています。最後に一つだけユニークな歌い方はニワトリの尾は、「垂り尾で乱れ尾だ」と歌っています。作者は不明ですが良く観察した結果と言えます。観察眼があると思われる家持の歌でも「鳴いた」とか「東に対する枕ことば」ということで、ユニークさがありません。
万葉の時代ニワトリは「カケ」と呼ばれていたそうでうが、この名前はニワトリの鳴き声から来ています。ニワトリの鳴き声が「コケコッコー」になったのは、明治からで国語の教科書によって普及したといわれています。その前は「カケロ」と言われていたようです。世界の国々には、その国のニワトリの鳴き声があるようです。英語では cock-a-doodle-doo (クックドゥードゥルドゥー)だそうです。
ニワトリには、たまごや肉ということで、人間の食料としての一面がありますが、そのよう面からの歌は一つもありません。食べることを歌にしないということではなかったとは思いますが。
13.1 万葉集
第2巻199
1 かけまくも ゆゆしきかも [ゆゆしけれども] かけまくも ゆゆしきかも [ゆゆしけれども]
2 言はまくも あやに畏き いはまくも あやにかしこき
3 明日香の 真神の原に あすかの まかみのはらに
4 ひさかたの 天つ御門を ひさかたの あまつみかどを
5 畏くも 定めたまひて かしこくも さだめたまひて
6 神さぶと 磐隠ります かむさぶと いはがくります
7 やすみしし 我が大君の やすみしし わがおほきみの
8 きこしめす 背面の国の きこしめす そとものくにの
9 真木立つ 不破山超えて まきたつ ふはやまこえて
10 高麗剣 和射見が原の こまつるぎ わざみがはらの
11 仮宮に 天降りいまして かりみやに あもりいまして
12 天の下 治めたまひ [掃ひたまひて] あめのした をさめたまひ [はらひたまひて]
13 食す国を 定めたまふと をすくにを さだめたまふと
14 鶏が鳴く 東の国の とりがなく あづまのくにの
15 御いくさを 召したまひて みいくさを めしたまひて
16 ちはやぶる 人を和せと ちはやぶる ひとをやはせと
17 奉ろはぬ 国を治めと [掃へと] まつろはぬ くにををさめと [はらへと]
18 皇子ながら 任したまへば みこながら よさしたまへば
19 大御身に 大刀取り佩かし おほみみに たちとりはかし
20 大御手に 弓取り持たし おほみてに ゆみとりもたし
21 御軍士を 率ひたまひ みいくさを あどもひたまひ
22 整ふる 鼓の音は ととのふる つづみのおとは
23 雷の 声と聞くまで いかづちの こゑときくまで
24 吹き鳴せる 小角の音も [笛の音は] ふきなせる くだのおとも [ふえのおとは]
25 敵見たる 虎か吼ゆると あたみたる とらかほゆると
26 諸人の おびゆるまでに [聞き惑ふまで] もろひとの おびゆるまでに [ききまどふまで]
27 ささげたる 幡の靡きは ささげたる はたのなびきは
28 冬こもり 春さり来れば ふゆこもり はるさりくれば
29 野ごとに つきてある火の のごとに つきてあるひの
[冬こもり 春野焼く火の] [ふゆこもり はるのやくひの]
30 風の共 靡くがごとく かぜのむた なびくがごとく
31 取り持てる 弓弭の騒き とりもてる ゆはずのさわき
32 み雪降る 冬の林に [木綿の林] みゆきふる ふゆのはやしに [ゆふのはやし]
33 つむじかも い巻き渡ると つむじかも いまきわたると
34 思ふまで 聞きの畏く [諸人の 見惑ふまでに]おもふまで ききのかしこく[もろひとの みまどふまでに]
35 引き放つ 矢の繁けく ひきはなつ やのしげけく
36 大雪の 乱れて来れ [霰なす そちより来れば]おほゆきの みだれてきたれ [あられなす そちよりくれば]
37 まつろはず 立ち向ひしも まつろはず たちむかひしも
38 露霜の 消なば消ぬべく つゆしもの けなばけぬべく
[朝霜の 消なば消とふに] [あさしもの けなばけとふに]
39 行く鳥の 争ふはしに ゆくとりの あらそふはしに
[うつせみと 争ふはしに] [うつせみと あらそふはしに]
40 渡会の 斎きの宮ゆ わたらひの いつきのみやゆ
41 神風に い吹き惑はし かむかぜに いふきまとはし
42 天雲を 日の目も見せず あまくもを ひのめもみせず
43 常闇に 覆ひ賜ひて とこやみに おほひたまひて
44 定めてし 瑞穂の国を さだめてし みづほのくにを
45 神ながら 太敷きまして かむながら ふとしきまして
46 やすみしし 我が大君の やすみしし わがおほきみの
47 天の下 申したまへば あめのした まをしたまへば
48 万代に しかしもあらむと [かくしもあらむと]よろづよに しかしもあらむと [かくしもあらむと]
49 木綿花の 栄ゆる時に ゆふばなの さかゆるときに
50 我が大君 皇子の御門を わがおほきみ みこのみかどを
[刺す竹の 皇子の御門を] [さすたけの みこのみかどを]
51 神宮に 装ひまつりて かむみやに よそひまつりて
52 使はしし 御門の人も つかはしし みかどのひとも
53 白栲の 麻衣着て しろたへの あさごろもきて
54 埴安の 御門の原に はにやすの みかどのはらに
55 あかねさす 日のことごと あかねさす ひのことごと
56 獣じもの い匍ひ伏しつつ ししじもの いはひふしつつ
57 ぬばたまの 夕になれば ぬばたまの ゆふへになれば
58 大殿を 振り放け見つつ おほとのを ふりさけみつつ
59 鶉なす い匍ひ廻り うづらなす いはひもとほり
60 侍へど 侍ひえねば さもらへど さもらひえねば
61 春鳥の さまよひぬれば はるとりの さまよひぬれば
62 嘆きも いまだ過ぎぬに なげきも いまだすぎぬに
63 思ひも いまだ尽きねば おもひも いまだつきねば
64 言さへく 百済の原ゆ ことさへく くだらのはらゆ
65 神葬り 葬りいまして かみはぶり はぶりいまして
66 あさもよし 城上の宮を あさもよし きのへのみやを
67 常宮と 高く奉りて とこみやと たかくまつりて
68 神ながら 鎮まりましぬ かむながら しづまりましぬ
69 しかれども 我が大君の しかれども わがおほきみの
70 万代と 思ほしめして よろづよと おもほしめして
71 作らしし 香具山の宮 つくらしし かぐやまのみや
72 万代に ぎむと思へや よろづよに すぎむとおもへや
73 天のごと 振り放け見つつ あめのごと ふりさけみつつ
74 玉たすき 懸けて偲はむ 畏くあれども たまたすき かけてしのはむ かしこかれども
注. []内は別の読み
意味:
1 言葉に出して言うことも おそれ多い
2 口に出して言うも 言い表しようがなく恐れ多い
3 明日香の 真神の原(明日香村の飛鳥大仏の一帯、狼神)に
4 永久に確かな 御所を
5 申すも恐れ多くも お定めになり
6 神々(こうごう)しく 神としてお隠れ(亡くなり)ました
7 国の隅々までお治めになっている 我が大君(天皇)の
8 お治めに 従わない国の
9 常緑の針葉樹の立つ 不破山(関ヶ原近く?)を超えて
10 環(わ)付きの高麗風の剣の 和(わ)射見が原(関ケ原のこと)の (わ)の掛かり言葉
11 仮宮(関ヶ原近くにあった)に 天武天皇が天から降りて
12 日本全国を 治めました
13 統治する国を お定めになると
14 ニワトリが鳴く 東の国(静岡、関東甲信)の
15 兵士たちを 呼び寄せて
16 乱暴な激しい 人を同調させ
17 同調しない 国を治めるために
18 皇子(高市皇子)であったけれども お任せになれば
19 おからだに 大刀取って腰に付け
20 お手に 弓取り
21 皇軍を 引き連れなさった
22 整然とした 太鼓の音は
23 雷の 音のように
24 吹き鳴らす 角笛の音も
25 敵を見た 虎か吠えるように
26 たくさんの人が 脅えるまでに [聞き惑ふまでに]
27 両手で高く捧げた 旗のなびきは
28 冬が終わり 春がやって来れば
29 野ごとに 燃える火が [冬が終わって 春野を焼く火が]
30 風とともに 靡(なび)くようだ
31 弓の両端の 弓弭(ゆみはず、玄をかける部分)の音
32 み雪降る 冬の林に [幣(ぬさ、神事で神主がお祓いに使うもの)を並べたような林]
33 旋風らしきものが 激しく巻き渡る
34 心配で 身を固くして聞いていると [多くの人がの 途方に暮れるまでに]
35 引き放つ 矢が激しい
36 大雪が 乱れ来た [霰(あられ)のようなものが そちらから来るので]
37 負けずに 立ち向かった
38 露が凍って霜のようになり 消るならば消えてしまえと [朝霜が 消えるならば消えてしまえと]
39 行く鳥が 争って戦った後で [命の限り 戦った後に]
40 渡会(伊勢市)の 斎宮から起こった
41 神風が 激しく吹いて敵を惑わし
42 天雲が 日の光を遮って
43 永久の闇に 覆ってしまった
44 間違いなく 瑞穂の国を
45 神そのものとして 居を定めてりっぱに統治し
46 国の隅々までお治めになっている 我が天皇の
47 この世の中 申し上げれば
48 永遠に このようであるだろうと
49 木綿(ゆう)花(幣が花のように見える)の 咲栄える時に
50 我が天皇と 皇子の宮を [竹が勢いよく生長するような 皇子の御所の門を]
51 神宮として 立派にまつり立て
52 お使いになる 宮の人も
53 白い布の 麻衣を着て
54 埴安(香具山の西側)の 宮の原に
55 茜色に鮮やかに照り映える 日々の諸事
56 膝(ひざ)を折り 体を低く伏して
57 黒いぬばたまの実のような 日暮れどきに
58 御殿を ふり仰ぎ望み見ながら
59 鶉(ウズラ)のように ゆっくり這い廻り
60 お仕え申し上げたが お仕いできなくなれば
61 春の鳥が さまよえる
62 ため息も いまだに過ぎず
63 つらい気持ちも いまだ尽きず
64 言葉の通じない外国人のいる 百済の原(香久山と明日香の間にあった)で
65 神葬で 葬って
66 麻裳の産地の 城上の宮(高市皇子の殯(もがり)の宮があった)を
67 常宮(墓所)として 高く奉てまつる
68 神そのものとして 穏やかになり
69 しかしながら 我が皇子の
70 限りなく長い年月を お思い
71 作らせた 香具山の宮
72 長い年月が 過ぎるだろう
73 天を はるか遠く望み見る
74 美しいたすきを 心にかけてお慕いしよう 恐れ多くも
作者:
柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)この歌には、「高市皇子尊の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に柿本朝臣人麻呂の作れる歌」すなわち、高市の皇子がなくなって、もがりの宮に葬るときの歌(挽歌)である。高市皇子は、天武天皇の長男である。天武天皇の皇后の子でなかったために次代の天皇の候補にはなれなかったが、壬申の乱の勃発時に住んでいた敵の大津京から脱出して、現在の関ヶ原近くで全権をゆだねられて壬申の乱の勝利のために活躍した。この戦いの様子が見たままに表現されている。この歌は、高市皇子の死に当たってその戦いのことを称え、葬送の列がもがりの宮に向かう様子を歌ったものである。壬申の乱は古代史の中でもクライマックスの部分です。あらきの宮ともがりの宮は同じ意味ですが、天皇など死後1年程度死者の死体を保管する宮で万葉集では、あらきの宮と呼ばれている。
なお、高市の皇子の子供が長屋王であり、皇室の政治勢力として活躍したが、藤原不比等の子(藤原4兄弟)による謀反の陰謀(長屋王の変)で自殺に追い込まれた。
この歌の59行目では、ウズラが歌われているので、11章で199番として同じ歌が取り上げられている。よって、解説の内容は11章で199番と一部共通の内容が含まれている。
この歌の14行目では、「鶏が鳴く 東の国の」として鶏(ニワトリ)が歌われているが、「鶏が鳴く」は、「東の国」の枕こ
とばになっている。
この歌は、万葉集の中で最も長い歌です。ひらがな読みで文字数は変則的な部分を無視して約895文字になります。2番目に長い歌は第16巻の3791で文字数は読みが不明な部分や変則な部分があり正確ではありませんが、約679文字です。これに比較しても199番は長い歌であると言えます。情景や情感のこもった良い歌です。
第3巻382
1 鶏が鳴く 東の国に とりがなく あづまのくにに
2 高山は さはにあれども たかやまは さはにあれども
3 二神の 貴き山の ふたかみの たふときやまの
4 並み立ちの 見が欲し山と なみたちの みがほしやまと
5 神世より 人の言ひ継ぎ かむよより ひとのいひつぎ
6 国見する 筑波の山を くにみする つくはのやまを
7 冬こもり 時じき時と ふゆこもり ときじきときと
8 見ずて行かば まして恋しみ みずていかば ましてこほしみ
9 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る ゆきげする やまみちすらを なづみぞわがける
意味:
1 鶏が鳴く 東の国に
2 高い山は たくさんあるが
3 二神の 貴き山
4 男体山と女体山が並び立つ 行って見たい山だと
5 神世より 人々が言い伝えて来た
6 国見ができる高い 筑波の山を
7 今は冬で その時期ではないけれど
8 見ないで行けば なおさら恋しくなるので
9 雪解けの 山道でさえも 一生懸命に私は登ってきました
作者:
丹比真人國人(たぢひのまひとくにひと)この歌には、「筑波の岳に登りて丹比真人國人が作る歌一首併せて短歌」というタイトルが付いている。この歌でも最初に「鶏が鳴く」という東の国に対する枕ことばが使われている。歌では、筑波山が古来より憧れと信仰の山であったことが分かります。現代の人の気持ちにも通じるものがあります。
第7巻1413
庭つ鳥 鶏の垂り尾の 乱れ尾の 長き心も 思ほえぬかも
にはつとり かけのたりをの みだれをの ながきこころも おもほえぬかも
意味:
庭の鳥の ニワトリの垂れた尾が 乱れ尾のようで 長くゆったりした心で 思うことはできません
作者:
この歌の作者は不明です。「かけ」とはニワトリのことです。この歌は、挽歌という分類の中に書かれている歌ですので、大切な人の死をゆったりとした気持ちで思うことができないと歌っているのです。鳥の尾を使った気持ちの表現がユニークです。
第9巻1800
1 小垣内の 麻を引き干し をかきつの あさをひきほし
2 妹なねが 作り着せけむ いもなねが つくりきせけむ
3 白栲の 紐をも解かず しろたへの ひもをもとかず
4 一重結ふ 帯を三重結ひ ひとへゆふ おびをみへゆひ
5 苦しきに 仕へ奉りて くるしきに つかへまつりて
6 今だにも 国に罷りて いまだにも くににまかりて
7 父母も 妻をも見むと ちちははも つまをもみむと
8 思ひつつ 行きけむ君は おもひつつ ゆきけむきみは
9 鶏が鳴く 東の国の とりがなく あづまのくにの
10 畏きや 神の御坂に かしこきや かみのみさかに
11 和妙の 衣寒らに にきたへの ころもさむらに
12 ぬばたまの 髪は乱れて ぬばたまの かみはみだれて
13 国問へど 国をも告らず くにとへど くにをものらず
14 家問へど 家をも言はず いへとへど いへをもいはず
15 ますらをの 行きのまにまに ここに臥やせる ますらをの ゆきのまにまに ここにこやせる
意味:
1 小さな屋敷の中で 麻を日に干し
2 愛する妻が 作って着せたのだろう
3 白い布で作った衣服の 紐も解かず
4 一重に結び 帯を三重に結ぶ
5 苦しいことに お仕え申し上げて
6 今ようやくにして 国に出向いて
7 父母にも 妻にも逢いたいと
8 思いながら 故郷へと道を辿った君は
9 鶏が鳴く 東の国の
10 恐ろしい 神の支配する足柄坂に
11 やわらな着物を 寒々と着て
12 黒々とした 髪は乱れて
13 国を問いても 国を告げず
14 家を聞いても 家を告げず
15 立派な男子が 旅の途中で ここに眠る
作者:
この歌は、田辺福麻呂歌集に現れる歌という説明が付いています。田辺福麻呂の歌と考えられます。万葉集には、田辺福麻呂歌集に現れる歌(31首)と田辺福麻呂の歌(13首)があります。この歌には、「足柄の坂を過ぐるに、死人を見て作る」というタイトルが付いています。何等かの都合で、国に帰る途中で、足柄坂でなくなったのだろうと考えたようです。この歌でも鶏は、枕ことばとして使われています。東の国に鳥が鳴くというまくら言葉を付けるただけで、情景に立体感が出てくるような気がします。
第9巻1807
1 鶏が鳴く 東の国に とりがなく あづまのくにに
2 古へに ありけることと いにしへに ありけることと
3 今までに 絶えず言ひける いままでに たえずいひける
4 勝鹿の 真間の手児名が かつしかの ままのてごなが
5 麻衣に 青衿着け あさぎぬに あをくびつけ
6 ひたさ麻を 裳には織り着て ひたさをを もにはおりきて
7 髪だにも 掻きは梳らず かみだにも かきはけづらず
8 沓をだに はかず行けども くつをだに はかずゆけども
9 錦綾の 中に包める にしきあやの なかにつつめる
10 斎ひ子も 妹にしかめや いはひこも いもにしかめや
11 望月の 足れる面わに もちづきの たれるおもわに
12 花のごと 笑みて立てれば はなのごと ゑみてたてれば
13 夏虫の 火に入るがごと なつむしの ひにいるがごと
14 港入りに 舟漕ぐごとく みなといりに ふねこぐごとく
15 行きかぐれ 人の言ふ時 ゆきかぐれ ひとのいふとき
16 いくばくも 生けらじものを いくばくも いけらじものを
17 何すとか 身をたな知りて なにすとか みをたなしりて
18 波の音の 騒く港の なみのおとの さわくみなとの
19 奥城に 妹が臥やせる おくつきに いもがこやせる
20 遠き代に ありけることを とほきよに ありけることを
21 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆる きのふしも みけむがごとも おもほゆるかも
意味:
1 鶏が鳴く 東の国に
2 遠い昔に 有ったことと
3 今までに 絶えず言い伝えて来た
4 葛飾の 真間(千葉県市川市真間町)に住んだという伝説の美しい少女が
5 麻の衣に 青い衿を付けた
6 ただの麻を 裳に織って着て
7 髪も 櫛でとかさない
8 沓(くつ)すらも はかず行っても
9 美しい立派な絹織物の 中に身を包んで
10 神としてあがめ祭る子も 少女に及ばない
11 満月のように 満ち満ちた顔で
12 花のように ほほえんで立てば
13 夏の虫が 火に入るように
14 港に入って 舟を漕ぐように
15 人々が集って 求婚するとき
16 いくらも 生きられないだろうものを
17 どうして 自分を十分わきまえることができるだろうか
18 波の音が 騒々しく聞こえる港の
19 神霊の集まる所に 少女が病気で臥せる
20 遠き時代に あったであろうことを
21 昨日にも 見たかのように 思われるよ
作者:
高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)この歌には、葛飾の真間娘子(ままのをとめ)を詠むというタイトルが付いている。真間娘子は葛飾(荒川が東京湾に交わる近辺)に住んでいた伝説的な美人である。この歌の後の1809番には、菟原処女(うなひをとめ)という美人の歌が歌われている。高橋虫麻呂には、このように地方の歌や地方の伝説に取材した歌が多い。
第10巻2201
遠妻と 手枕交へて 寝たる夜は 鶏がねな鳴き 明けば明けぬとも
とほづまと たまくらかへて ねたるよは とりがねななき あけばあけぬとも
意味:
遠く離れている妻織女星と 手枕を交えて 寝た夜は ニワトリよ鳴かないで 夜が明けても構わないから
作者:
柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ) この歌の近くには、柿本人麻呂が作った七夕にまつわる歌が100首近く続く。彦星と織女星関係の表現の多さに驚きます。
第11巻2800
暁と 鶏は鳴くなり よしゑやし ひとり寝る夜は 明けば明けぬとも
あかときと かけはなくなり よしゑやし ひとりぬるよは あけばあけぬとも
意味:
夜明けだよと ニワトリは鳴く どうでもなれ ひとり寝る夜は 明けようが明けなくとも
作者:この歌の作者は不明です。この歌では、「鶏は鳴く」を「かけはなく」と読んでいますが、当時はニワトリのことをカケとよんでいました。
第11巻2803
里中に 鳴くなる鶏の 呼び立てて いたくは泣かぬ 隠り妻はも [里響め鳴くなる鶏の]
さとなかに なくなるかけの よびたてて いたくはなかぬ こもりづまはも [さととよめ なくなるかけの]
意味:
里の中で 鳴くニワトリは 声を張りあげるが ひどくは泣かない 人の目をはばかって家にこもっている妻は[里に響くニワトリの鳴き声]
作者:
この歌の作者は不明です。隠り妻は人目につくと困る関係にある妻や恋人のこと。最後の「はも」は強い詠嘆の意味。
第12巻3194
息の緒に 我が思ふ君は 鶏が鳴く 東の坂を 今日か越ゆらむ
いきのをに あがおもふきみは とりがなく あづまのさかを けふかこゆらむ
意味:
命がけで 私が思う君は 鳥が鳴く 東の坂(足柄(あしがら)の坂)を 本日頃越えるだろう
作者:
この歌の作者は不明です。この歌のタイトルは悲別歌となっています。ここで足柄(あしがら)の坂は碓氷峠の坂とも考えられます。「鶏が鳴く」は東の枕ことばになっています。
第13巻3310
1 隠口の 泊瀬の国に こもりくの はつせのくにに
2 さよばひに 我が来れば さよばひに わがきたれば
3 たな曇り 雪は降り来 なぐもり ゆきはふりく
4 さ曇り 雨は降り来 さぐもり あめはふりく
5 野つ鳥 雉は響む のつとり きぎしはとよむ
6 家つ鳥 鶏も鳴く いへつとり かけもなく
7 さ夜は明け この夜は明けぬ さよはあけ このよはあけぬ
8 入りてかつ寝む この戸開かせ いりてかつねむ このとひらかせ
意味:
1 四方から山の迫る 泊瀬(桜井市東部の初瀬川渓谷)の国に
2 夜這いに 私が来ると
3 空が一面に曇り 雪が降って来た
4 そう、曇り 雨が降って来た
5 野の鳥の キジの声が響く
6 家の鳥の 鶏も鳴いた
7 夜は明けたが 私の夜は明けない
8 君の家に入って寝たい この戸を開けてくれ
作者:
この歌の作者は不明です。この歌は、天皇が泊瀬娘子に妻問いするような歌になっていますが、余興的作成されたものと思われます。この歌の後ろには、類似の歌が少し続きます。キジを持ってきたのは、少し気品の高さを表現したものと思われますが、すぐに鶏を出したのは、現実的なものに戻したもでしょう。この歌は、9章のキジの部分でも取り上げました。この歌は
数か所の字余りがありますが、少し不思議な形式になっています。
第14巻3432
足柄の わを可鶏山の かづの木の 我をかづさねも 門さかずとも
あしがりの わをかけやまの かづのきの わをかづさねも かづさかずとも
意味:
足柄の 我に懸ける(わを可鶏山の) かづの木のように 私を誘ってください 私の家の門が開かなくても
作者:
この歌の作者は不明です。この歌の意味は、女性が男性に私の家の門が開かなくとも誘ってくれと、頼んでいる歌です。前半の意味は、不明な点もありますが、歌の意図は明確です。山の名前がカケでニワトリを表現していますので、ニワトリの歌に入れました。
第18巻4094
1 葦原の 瑞穂の国を あしはらの みづほのくにを
2 天下り 知らしめしける あまくだり しらしめしける
3 すめろきの 神の命の すめろきの かみのみことの
4 御代重ね 天の日継と みよかさね あまのひつぎと
5 知らし来る 君の御代御代 しらしくる きみのみよみよ
6 敷きませる 四方の国には しきませる よものくにには
7 山川を 広み厚みと やまかはを ひろみあつみと
8 奉る 御調宝は たてまつる みつきたからは
9 数へえず 尽くしもかねつ かぞへえず つくしもかねつ
10 しかれども 我が大君の しかれども わがおほきみの
11 諸人を 誘ひたまひ もろひとを いざなひたまひ
12 よきことを 始めたまひて よきことを はじめたまひて
13 金かも たしけくあらむと くがねかも たしけくあらむと
14 思ほして 下悩ますに おもほして したなやますに
15 鶏が鳴く 東の国の とりがなく あづまのくにの
16 陸奥の 小田なる山に みちのくの をだなるやまに
17 黄金ありと 申したまへれ くがねありと まうしたまへれ
18 御心を 明らめたまひ みこころを あきらめたまひ
19 天地の 神相うづなひ あめつちの かみあひうづなひ
20 すめろきの 御霊助けて すめろきの みたまたすけて
21 遠き代に かかりしことを とほきよに かかりしことを
22 我が御代に 顕はしてあれば わがみよに あらはしてあれば
23 食す国は 栄えむものと をすくには さかえむものと
24 神ながら 思ほしめして かむながら おもほしめして
25 もののふの 八十伴の緒を もののふの やそとものをを
26 まつろへの 向けのまにまに まつろへの むけのまにまに
27 老人も 女童も おいひとも をみなわらはも
28 しが願ふ 心足らひに しがねがふ こころだらひに
29 撫でたまひ 治めたまへば なでたまひ をさめたまへば
30 ここをしも あやに貴み ここをしも あやにたふとみ
31 嬉しけく いよよ思ひて うれしけく いよよおもひて
32 大伴の 遠つ神祖の おほともの とほつかむおやの
33 その名をば 大久米主と そのなをば おほくめぬしと
34 負ひ持ちて 仕へし官 おひもちて つかへしつかさ
35 海行かば 水漬く屍 うみゆかば みづくかばね
36 山行かば 草生す屍 やまゆかば くさむすかばね
37 大君の 辺にこそ死なめ おほきみの へにこそしなめ
38 かへり見は せじと言立て かへりみは せじとことだて
39 大夫の 清きその名を ますらをの きよきそのなを
40 いにしへよ 今のをつづに いにしへよ いまのをつづに
41 流さへる 祖の子どもぞ ながさへる おやのこどもぞ
42 大伴と 佐伯の氏は おほともと さへきのうぢは
43 人の祖の 立つる言立て ひとのおやの たつることだて
44 人の子は 祖の名絶たず ひとのこは おやのなたたず
45 大君に まつろふものと おほきみに まつろふものと
46 言ひ継げる 言の官ぞ いひつげる ことのつかさぞ
47 梓弓 手に取り持ちて あづさゆみ てにとりもちて
48 剣大刀 腰に取り佩き つるぎたち こしにとりはき
49 朝守り 夕の守りに あさまもり ゆふのまもりに
50 大君の 御門の守り おほきみの みかどのまもり
51 我れをおきて 人はあらじと われをおきて ひとはあらじと
52 いや立て 思ひし増さる いやたて おもひしまさる
53 大君の 御言のさきの 聞けば貴み おほきみの みことのさきの きけばたふとみ
[大君の 御言のさきを 貴くしあれば] [おほきみの みことのさきを たふとくしあれば]
意味:
1 葦が一面にはえている原の 稲の穂が豊かに実る国を
2 天上から地上におり お治めになられた
3 天皇の 神様の
4 天皇の御治世を重ね 皇位の継承と
5 お治めになられ来た 天皇の御治世
6 あまねく治める 四方の国には
7 山や川があり 広く豊である
8 献上する 絹・糸・綿などの宝物は
9 数へきれず 献上し尽くすこともない
10 しかしながら 我が大君は
11 多くの人を 仏の道にお導きになり
12 大仏建立を お始めになり
13 黄金も 充分にあってほしいと
14 思って 心中気にかけておられたときに
15 鶏が鳴く 東の国の
16 陸奥国の 小田(宮城県遠田郡黄金迫)にある山に
17 黄金ありと 奏上して来たので
18 お心を 明るくして
19 天と地の 神は共に良しとして
20 天皇の 御神霊を助けて
21 遠い時代に このようにありしことを
22 我が天皇の御治世に はっきり見えるようになれば
23 統治なさる国は 栄えるものと
24 神そのものとして お思いあそばし
25 役人として 朝廷に仕える多くの官人が
26 使えるときに 物事の成り行きに従い
27 老人も 少女も
28 めいめいの願いが 満ち足りるように
29 いつくしみ お治めするので
30 このことが たいへん尊く
31 楽しく いっそう天皇を思ってしまう
32 大伴の 神である遠いご先祖の
33 その名は 大久米主といい
34 天皇を支えて 宮中に仕えた
35 海を行けば 水に漬かった屍になり
36 山を行けば 草が生(む)す屍になり
37 天皇の 近くでこそ死のう
38 過去を振り返って見みることは しないと宣言して
39 大夫(ますらを)という 清きその名を
40 遠い昔より 今の現在に
41 伝えて来た 祖先の子供です
42 大伴と 佐伯の氏(血縁的同族集団)は
43 人の祖先を 明確にするものだ
44 人の子は 祖先の名を断絶しない
45 天皇に 付き従うものと
46 言い継ける 言葉の官職である
47 梓の木で作った丸木の弓を 手に取り持って
48 つるぎを 腰に帯(おび)て
49 朝の警護と 夕方の警護に
50 天皇の 宮廷の門を守り
51 わたしをおいて 他に人はいないと
52 ますます心を奮い立たせ 思は増す
53 天皇の お言葉のはしを 聞けば尊く思う
[天皇の お言葉のはしを 尊いと思うのだから]
作者: 大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、「陸奥の国に金を出(い)だす詔書を賀す(よろこび祝う)歌」となっている。また、この歌の後には、3首の反歌があり、その後に、「天平感宝元年の5月12日に、越中の国の守が館にして大伴宿禰家持作る」という説明がある。天平感宝元年は749年の4月に陸奥からの黄金献上により改元された。聖武天皇の時代である。そしてこの年の7月には、聖武天皇は、天皇の座を娘の阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位して、独断で出家してしまった。そのことで元号は天平勝宝に改元された。歌が作られたのは、5月ですので、黄金が献上された翌月、聖武天皇が譲位する2月前のことである。
この歌では、聖武天皇を謳歌して大伴氏も天皇と共にあることを歌っている。ただ、740年代に聖武天皇は4度の遷都を行っている。
まず741年に平城京(奈良市)から恭仁京(京都府木津川市)に遷都して、続いて、744年に難波宮(大阪市)へ遷都、745年には紫香楽宮(滋賀県甲賀市)へ、同年に平城京へと戻ってきます。遷都の理由は次のようなことが考えられます。
・九州で発生した藤原広嗣の乱に対する不安(ただ、乱が治まっても遷都は続く)
・天皇になるまでに見て来た天皇の座を廻る争いや周辺で発生したたくさんの殺人ともいえる事件
・このころ発生した天然痘の流行などによる国民や側近の死
・このような状況に自分の責任を感じ、遷都で打破しようとした
・聖武天皇の母親の宮子に精神的疾患があり、聖武天皇にも精神的弱さがあったことも考えられる
このような状況の中で、人の心を静めるために遮那仏建立の詔が、聖武天皇によって743年に当時離宮であった紫香楽宮で出され、紫香楽宮で大仏を作りが始まりました。しかし、紫香楽宮は場所的に手狭であり、天皇周辺で反対も多く山火事などの発生もあり、究極的に奈良に遮那仏が奈良の大仏として建立された。
従来このような説明が多かったが、最近はの説では、聖武天皇は、複都制を目指していたのだという説明がされている。この説では恭仁京開発に着手する前に、藤原広嗣の乱の前に恭仁京の開発は着手されていたので乱は遷都の原因にならない。聖武天皇の複都制の構想は、難波宮は外国を含む外部との窓口の機能、恭仁京は、平城京の大きな川がないことによる水運の悪さ、また衛生面の不備を解決する、紫香楽宮は仏都としての機能などにより新しい国を作ろうとしていたのだと説明されている。
4094の歌の一部は、「海ゆかば」という軍歌に使われていることでも注目されます。また、この歌詞は、軍艦行進曲の中間部も別のメロディで歌われています。
海行かば 水漬く屍 うみゆかば みづくかばね
山行かば 草生す屍 やまゆかば くさむすかばね
大君の 辺にこそ死なめ おほきみの へにこそしなめ
かへり見は せじ かへりみは せじ
第18巻4131
鶏が鳴く 東をさして ふさへしに 行かむと思へど よしもさねなし
とりがなく あづまをさして ふさへしに ゆかむとおもへど よしもさねなし
意味:
鶏が鳴く 東を目指して ふさわしい旅に 行こうと思うが 口実がまったく見つかりません
作者:
大伴池主(おおとものいけぬし) この歌には、次のような長い説明文がついています。「すぐさまに、家持が池主に送った小包みをもったいなく、驚いて浮き浮きする気持ちが深いです。心中に笑み含み、独りで座って、順次開いて見れば、表書きと中身が違っていました。相違い、しかも同じでない。その理由を推量するに、ちょっと策をしたのか。そうだとはっきり知った上で、申し上げるのは、恐ろしい、どうして他に、意図があるでしょうか。だいたい本物を他のものと取り換えるは、その罪は軽くありません。盗んだのであるならば、盗んだもの2倍の賠償が必要です。速やかに、合わせ差し出すべきです。今すぐ、手紙を書いて取り立て人を送り出します。直ぐに返事をしなさい。遅れてはなりません。」
「勝宝元年の11月12日に物を取り換えられた下役人(大伴池主のこと)が慎しんで取り替えた人を国府の裁判所の役人に訴える。特別に申すことには、おもしろいと思うことや、黙って見ていることはできない。わずかに四つの歌を述べ、眠気覚ま
しにお代えしたいと思う。」
四つの歌の内、最後の歌が最初に説明した4131の「旅に出たいと思うが、口実が見つからない」という歌であるが、残りの歌は次の通りです。針袋の意味は、当時、旅に出る老人が使うものという感覚があったのかも知れません。家持は、そんな気持ちを込めて贈ったのかも知れませんが、この二人の関係はしっくりしていなかったのかも知れません。
4128
草枕 旅の翁と 思ほして 針ぞ賜へる 縫はむ物もが
くさまくら たびのおきなと おもほして はりぞたまへる ぬはむものもが
意味:
仮寝の床の 旅の老人と 思われて 針をくださいました 縫う物も頂きたい
4129
針袋 取り上げ前に置き 返さへば おのともおのや 裏も継ぎたり
はりぶくろ とりあげまへにおき かへさへば おのともおのや うらもつぎたり
意味:
針袋を 取り上げて前に置いて 裏返したら まあ何と 裏地もついている
4130
針袋 帯び続けながら 里ごとに 照らさひ歩けど 人もとがめず
はりぶくろ おびつつけながら さとごとに てらさひあるけど ひともとがめず
意味:
針袋を 身に着けて 里ごとに 見せびらかし歩いても 誰も気にしなかった
4189にも家持が池主に送る歌があり5章で取り上げられていますが、家持と池主の関係は、不明ですが、親しいがお互いに不満を持つような特殊な関係であったように感じます。
第19巻4233
うち羽振き 鶏は鳴くとも かくばかり 降り敷く雪に 君いまさめやも
うちはぶき とりはなくとも かくばかり ふりしくゆきに きみいまさめやも
意味:
羽ばたきして ニワトリが鳴いたので こんなに 敷き詰めたように一面に降る雪の中を あなたは帰るのか
作者:
主人内蔵伊 美吉縄麻呂(あるじくらのいみきつなまろ) この歌は男女の間の歌でなく、宴会を終えて帰ろうとする客(家持など)を惜しんだ歌です。
第19巻4234
鳴く鶏は いやしき鳴けど 降る雪の 千重に積めこそ 我が立ちかてね
なくとりは いやしきなけど ふるゆきの ちへにつめこそ わがたちかてね
意味:
鳴くニワトリは ますますしきりに鳴いたが 降る雪が 幾重にも重なり積み重なったので 私は立つことができない
作者:
守大伴宿禰家持(かみおおとものすくねやかもち)4233に対して家持が答えた歌です。雪がたくさん降っているので、帰れな
いと歌っています。
第20巻4331
1 大君の 遠の朝廷と おほきみの とほのみかどと
2 しらぬひ 筑紫の国は しらぬひ つくしのくには
3 敵守る おさへの城ぞと あたまもる おさへのきぞと
4 聞こし食す 四方の国には きこしをす よものくにには
5 人さはに 満ちてはあれど ひとさはに みちてはあれど
6 鶏が鳴く 東男は とりがなく あづまをのこは
7 出で向ひ かへり見せずて いでむかひ かへりみせずて
8 勇みたる 猛き軍士と いさみたる たけきいくさと
9 ねぎたまひ 任けのまにまに ねぎたまひ まけのまにまに
10 たらちねの 母が目離れて たらちねの ははがめかれて
11 若草の 妻をも巻かず わかくさの つまをもまかず
12 あらたまの 月日数みつつ あらたまの つきひよみつつ
13 葦が散る 難波の御津に あしがちる なにはのみつに
14 大船に ま櫂しじ貫き おほぶねに まかいしじぬき
15 朝なぎに 水手ととのへ あさなぎに かこととのへ
16 夕潮に 楫引き折り ゆふしほに かぢひきをり
17 率ひて 漕ぎ行く君は あどもひて こぎゆくきみは
18 波の間を い行きさぐくみ なみのまを いゆきさぐくみ
19 ま幸くも 早く至りて まさきくも はやくいたりて
20 大君の 命のまにま おほきみの みことのまにま
21 大夫の 心を持ちて ますらをの こころをもちて
22 あり廻り 事し終らば ありめぐり ことしをはらば
23 つつまはず 帰り来ませと つつまはず かへりきませと
24 斎瓮を 床辺に据ゑて いはひへを とこへにすゑて
25 白栲の 袖折り返し しろたへの そでをりかへし
26 ぬばたまの 黒髪敷きて ぬばたまの くろかみしきて
27 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは ながきけを まちかもこひむ はしきつまらは
意味:
1 天皇の 大宰府と
2 不知火(しらぬい、陰暦七月末ごろの夜、無数に見える火影)の出る 筑紫の国は
3 敵から守る 防御の城だと
4 お治めあそばす 四方の国には
5 人がたくさん 満ちているが
6 鶏が鳴く 東男は
7 向かって行って わが身を顧みずに
8 勇ましく 勇猛な軍士と
9 ほめねぎらわれて 任命されるままに
10 私を育てあげた 母と離れて
11 若草のようにみずみずしい 妻とも共寝せず
12 新年の 月日を指折り数えつつ
13 葦の多い 難波の御津(古代の難波の港、現在場所不明)に
14 大船に 楫を隙間なく突き通し
15 朝なぎに 船を操る人をまとめ上げて
16 夕潮に 楫をたわむほど強く引き
17 調子を合わせて 漕ぎ行く君は
18 波の間を 行って間を縫って進む
19 無事に 早く行き着いて
20 大君の 指示のままに
21 長官の 心を持って
22 任国をづっと見回り続けて 仕事が終ったら
23 病気にならず 帰って来なさいと
24 神にささげる酒を入れる神聖なかめを 床にしっかり置いて
25 白い布の 袖を折り返し
26 ぬばたまの実のような 黒髪を夜の床に敷いて
27 長き日を 待ちそして恋う 愛しき妻らは
作者:
兵部少輔大伴宿禰家持(ひょうぶしょうゆう おおとものすくねやかもち)この歌のタイトルは、「防人が悲別の心を痛みて作る歌」となっています。家持は、754年に兵部少輔(従五位下)に757年には兵部大輔(正五位下)に昇進している。755年には難波で防人の検校を担当している。この歌は、兵部少輔の頃、防人を管理する立場で、防人の気持ちが良く分かって歌です。気持ち的には、辛い立場だったと思います。
第20巻4333
鶏が鳴く 東壮士の 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み
とりがなく あづまをとこの つまわかれ かなしくありけむ としのをながみ
意味:
鳥が鳴く 東の国の勇ましくて元気のいい男の 妻との別れ 悲しかっただろう 何年も続く長さよ
作者:
兵部少輔大伴宿禰家持(ひょうぶしょうゆう おおとものすくねやかもち)この歌は、この前の第20巻4331の反歌として歌われたもので、第20巻4331の歌を要約した内容になっています。